4)養蜂器具の贈呈


 大日本農史第3巻今世、明治11年の章に以下のような記述があります。

 

 この月、文部省よりオーストリア国ボヘミア府ノイスタッド、リュドルフ、マイエル、フッッフエルより贈られたミツバチ畜養器械並びに用法書を勧農局に送付した。   

(大日本農史第3巻今世p271)

 

 他の著書等に、おそらく今まで引用されたことのない、この一文を見つけ筆者は目を見開きました。原資料を精査する楽しみは、史実に近づくことと、このような小さな大発見があることとです。

 

“この月”

 記述の前後関係から見て、明治11年(1878)6月のことです。

 

“文部省より”

 明治6年(1873)11月までは、農政も文部省管轄でした。明治6年に参加したオ-ストリアのウィーン万国博覧開催関係者から文部省への贈呈品の処理記録です。

 

“オーストリア国ボヘミア府ノイスタッド、リュドルフ、マイエル、フッッフエルより”

 具体的にはボヘミア政府からとのことです。ウィーン万国博覧にて日本参加者が養蜂に感心を示していたということの結果ととらえることが出来ると思います。

 

“ミツバチ畜養器械並びに用法書”

ボヘミア政府から贈呈された「ミツバチ畜養器械」とは何だったのでしょうか? 器械と言うものが、「複数の部品で出来ており、人力または動力で作動する人工的装置」と定義されるなら、養蜂における器械とは「蜂蜜遠心分離器」です。用法書(すなわち取扱い説明書)が付いていて多少複雑であったと考えると、これはやはり「蜂蜜遠心分離器」と断定して間違いと思います。蜂蜜遠心分離器は1870年頃開発されたばかりで、下掲の写真のようでした。基本構造は現代のものとほとんど違いがありません。

 

(Practical Bee-Keeping .Frank Cheshire.1878より転載)

 

“勧農局に送付した”

 前述のように、明治6年(1873)11月に文部省から分省し内務省が作られ、明治7年(1874)1月に勧業寮が設置され、明治10年には勧農局と名称換えがされまた。勧農局は現代風に言えば「農業振興局」あるいは「農政局」と言えます。文部省に贈呈されてきた蜂蜜遠心分離器を農政管轄の内務省勧農局に送付したということです。内務省勧農局では明治10年に西洋蜜蜂をアメリカから輸入し日本適合試験を行っていました。 「ミツバチ畜養器械並びに用法書」は当然,蜜蜂が飼育されていた内藤新宿試験場に届けられたと考えられます。