青柳浩次郎の足跡を訪ねて


1)出生地:山梨県西八代郡高田村31番地 (当時の地名・番地)

 

 平成29年(2017)12月、愛蜂の越冬装備を終えて、念願だった青柳浩次郎の出生地を訪れました。当時の地名・番地は現在は存在しませんので、簡単に関係者にたどり着くことはないと覚悟の上です。解明の戦略を立てたいとの思いで三郷町市川大門を見渡せる小高い土手沿いに車を止め写真を撮っていました。その時、年配の男性から声をかけられました。不審者と怪しまれたようようです。埼玉県から来たことや青柳浩次郎研究をしていることなどを話しました。そしたら、なんと、この方も青柳さんでした。そして、今後の調査の糸口となる重要な情報を得られたのでした。

 

――>現在の三郷町市川大門の全景写真準備中

 

 

平成29年(2017)12月に市川大門町を訪れてから、あっという間に2年が過ぎてしまいました。家業に追われて青柳浩次郎研究はストップ状態になっていました。そんな筆者のもとに、2019年1月17に1枚のFAXが届きました。

 

ーー>FAXスキャン準備中

 

それは、なんと2年前に丘の上で教えていただいた、あの白い土塀をめぐらした青柳一族の親方の家からでした。数日後、筆者は青柳一族の方々と感動的なひとときを過ごさせていただきました。

 

写真準備中

 

――>屋敷(土塀、馬屋、蔵)

――>家系図と三十六氏

――>青柳城

――>葡萄園

 

 

コメント準備中

 

――>青柳家の成り立ち (氏家大辞典他)

――>青柳城を築く( 幻の青柳城構築の抄録から転載)

――>武田家臣後帰農し江戸に上らず(甲陽軍艦、明治維新人名辞典他)

 

――>青柳家の系図

 

――>古公図準備中

――>法務局資料準備中

――>私家青柳家歴史から写真等転載準備中

 

2)栗原翁の家:山梨県北巨摩郡穴山村221番地(当時の地名・番地)

 

 青柳浩次郎が10歳の頃、9里の道のりを2往復もして、蜂群を恵んでもらった栗原翁こと栗原信近の生家も訪ねました。

 

古地図に見る山梨県西八代郡高田村、甲府、北巨摩郡穴山村 (明治28年製)

高田村は下中央、穴山村は上左

 

――>韮崎市穴山遠景写真準備中

――>胸像写真準備中

 

栗原信近展について

 

 栗原信近関係の史料はご遺族によって山梨中央銀行に寄贈され、山梨中銀金融資料館にて所蔵されています。平成29年11月1日(水)~12月27日(水)には、山梨中銀金融資料館企画展「『山梨近代化の父栗原信近展』~山梨の発展に尽くした生涯~」が開催され、筆者も閲覧させていただきました。

 

                             

           ―――――以下準備中――――

 

3)東京農林学校:     (当時の地名・番地)

    ―>沿革

 

 

 

○明治17年当時の駒場農学校敷地図

(明治17年農務省農務局刊行の駒場農学校一覧より)

○現在地図

 

明治17年当時の駒場農学校正面写真&絵画

○現在写真(現在東京大学教養学部)

 

4)農業社:東京市赤坂区溜池町二番地、東京市本郷区駒込上富士前2番地

 

5)静岡県富士宮青柳養蜂場

6)東京農書館、農業世界社:東京市小石川区上富阪町7

 

 

7)箱根養蜂場:神奈川県足柄郡湯本村湯本292(当時の地名・番地) 

 

 平成29年(2017)の12月の日曜日に、筆者の友人であり、本研究の良き協力者でもある小田原の府川茂氏と一緒に箱根町と小田原市緑4丁目を歩きました。府川氏は銀行系の調査会社で重要な役職に就いておられますが、氏の調査ノウハウや勘や人脈に筆者はいつも感服しています。青柳浩次郎の箱根養蜂場と小田原町緑四丁目の支場の所在跡を府川氏は既に特定済で、筆者は案内していただくだけでした。

 

 

ーー>当時の神奈川県全図準備中

ーー>当時の箱根町湯本の地図準備中(当時の湯本村湯本292と現在の湯本町湯本292)

 

明治37年当時の箱根養蜂場飼育場(養蜂全書初版より)

(左端にかやぶき屋根の養蜂舎が写り込んでいます。果樹の苗木を移植したてで、たくさんの支柱が見えます。遠くに見えるのが湯坂山です。

 

ーー>現在の箱根養蜂場飼育場跡準備中

             (遠くに湯坂山を望む)

 

明治41年当時の箱根養蜂場建物(養蜂全書4版より)

(母屋はかやぶきで、かなり古い家のようです。門を入っった所に別棟の馬小屋があります。この作りから見ると、ここは農家ではなく、武家の別荘のように思えます。馬小屋は養蜂舎となりました。)

 

大正元年当時の箱根養蜂場建物 (養蜂全書8版より

(左側に2階建ての研修生棟が完成。全国から研修生が入所しました。裏の斜面にみかんが植えてあります。。奥に白石山が見えます。

 

現在の箱根養蜂場建物跡

(研修生棟のあった辺りにはアパート等、母屋のあった辺りは駐車場、門の前の低い辺も駐車場となっています。養蜂舎右側の飼育場のあった場所は完全に住宅地となっています。奥に見えるのが白石山です。)

 

(裏の斜面には現在もみかんが植えられていました。

 

 

箱根養蜂場の全景

(養蜂舎を基準に2枚の写真をつなぎ合わせると箱根養蜂場の全体像がわかります。)

 

ーー>当時の地図上での箱根養蜂場の全体図準備中

ーー>箱根養蜂場見取り図準備中

 

ーー>大正12年関東大震災について準備中

ーー>関東大震災絵図準備中

 

8)箱根養蜂場小田原支場:神奈川県小田原町緑四丁目 (当時の地名・番地)

 

 

養蜂場の目印となった中学校(現在の小田原高校)準備中

           (右手奥の緑地が緑4丁目)

 

 

       ーーーーーーー以下準備中ーーーーーーーーー